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ソプラノ・ヴォーカリスト 渡辺麻衣

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生まれて、おめでとう

Category - こどもたちと
昨日は楽しみにしていた出会いの日。
児童養護施設の子どもたち。
虐待をふくむ、様々な理由で、親と一緒に暮らせない子どもたちがそこで集団生活をしている。
彼らに、会いに行った。

すべての子どもたちが、音楽を「選ぶ」ことができるように。

この思いはずっとあった。活動理念の中心は、そこにあった、と言っても過言ではない。
そこにほんのすこしではあるが、次の一歩を踏み出す。


そんな、昨日の朝だった。
ちょっとした緊張感と楽しみと、そしてこれから出会う子どもたちが置かれている状況を改めて考えながら電車に揺られていたら、メールの着信があった。

それは私が3年前からやっている0歳児から未就学児の親子のための「おんがくひろば」に、
3歳のお子さんが9ヶ月のころから、ずっと通ってくれている方からだった。
先日も、もうすぐ生まれる大きなお腹を抱えて元気に参加してくれたばかり。

それは、第二子が昨日無事生まれました、という報告だった。
3歳のお子さんと、ご主人と、みんなで立ち会いの中赤ちゃんを迎えたらしい。

お兄ちゃんになった彼。
陣痛の中、お母さんにお水を飲ませてくれたり、いつもは元気いっぱい走りまわる彼が、一人でおとなしく本を読んでいたり。彼なりにその瞬間を感じていたのだろう。

最後は、頑張るお母さんとそれを助けるお父さんを、じっと見守っていて。
無事生まれた瞬間、彼の目からはポロポロと涙がこぼれた、と。
「第二子誕生と、そんな彼の姿に感動する父母でした。」メールはそう結ばれていた。


お父さん、お母さん、お兄ちゃんがむかえる中に生まれてきた「生命」。
これから私が出会おうとしている、「生命」。
そこにどれだけの違いがあろうか。
生まれおちるその場所を、どうして彼らが選べようか。
メールに添えられた可愛らしい赤ちゃんの写真を見ながら、しばし考えこむ。


準備とリハーサルを終え、コンサートがはじまった。
今日はアマチュアの方たちを中心にしたフルートアンサンブルをはじめ、ピアノ、歌二人、打楽器、、
プロアマ混合で、総勢15名ほどの大人たちでのコンサート。

会場はそれほど広くないので演奏する場所ギリギリまで子供たちがせまっている。
前の方に小さい子達。後ろの方には大きい子達。
その顔ぶれや表情はいつものコンサートに集まる子供たちと何ら変わらない。

みんなノリもよく、反応がよかったのでやりやすかったし、よく聞いてくれた。
コンサートは無事終了。その後はやりたい子だけ自由に楽器体験、交流コーナー。

フルートを吹くのを教えたり、ピアノを弾いたり、打楽器をたたいたり。
全員がそう、というわけではなかったが、彼らの多くは私達に真正面からぶつかってきた。

相手が受け止められる力があるかないか、など問題にはしていないようだった。
ある子はなぜか私を「抱っこ」しようとするのだった。私の半分位の小さい体で、ふらふらしながら何度も何度も。無理だろうと思っていたのに、私の体はふわりと持ち上がった。彼女はそれを確かめるようにまた何度もやっていた。

ある子はガーッと楽器を叩いて、取り合いしてワーッと喧嘩して、突然私にぎゅーっと抱きついてきたかと思えば、すごい勢いで昨日学校であった話をしてきた。

何かを強烈に求めるエネルギーが、楽器へ、私達へ、まっすぐにむかってきたように、感じた。

思いの表現、やりたいこと、言いたいことの主張。

多分それらは、私がこれまで出会って来た、施設で暮らさない子どもたちのそれとは比べ物にならないほど、
ストレートでダイレクトで、激しかった。

小さな打楽器を取り合いしていた子がいた。1年生くらいかな、女の子。
楽器が壊れては困るので、その二人に「こっちへおいで」と、楽器と一緒に呼んだ。
「ほら、ここでやろう」と、やりはじめると、そのうちの一人が「これできるよ」というように、
ちょっと得意そうな顔をして「ハッピーバースデートゥーユー~・・・」と歌い始めた。

「お、上手やん♪」と私は言った。
すると、彼女は「ねえ、さっき(コンサート)みたいに、きれいな声出して?」と言ってきた。

「いいよ。A~♪」
「それじゃなくってさ。歌でやって。」
「ああ、そだね。いいよ、何歌おうか」
「これ。今いったやつ。」

「ああ、ハッピーバースデー?」
「うん」

一瞬、私はちょっと息を止めた。

でもすぐに歌った。


「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデー ディア・・・・?」


彼女の顔を見ると

「〇〇。こっちは△△。」

「◯◯ちゃん~♪ そして、△△ちゃん~♪ ハッピーバースデートゥーユー・・・・・・」


歌い終わると彼女はニヤッと笑った。


「これでいい?」
「うん」


「何歳?」
「7歳。」
「ふたりとも?」
「うん。私は〇〇でこっちは△△なんだ。」

もう一度繰り返して彼女たちはまた違う楽器のところへ行ってしまった。



おんがくひろばで毎月歌っている「ハッピーバースデー」だった。
いつもその月がお誕生月の子の名前を入れて歌う。

朝のメールにあった、昨日お兄ちゃんになったばかりの、おんがくひろばのあの子にも、
先月「ハッピーバースデー」を歌ったばかりだった。
照れくさそうな彼の顔。「1歳、2歳、3歳と、おんがくひろばで、3回、お誕生日をお祝いしていただきました、、、」と優しく笑うお母さんの顔。それを囲む他のお母さんたちのあたたかい笑顔。
そして、今日はじめて出会った彼女たちの笑顔。

私の歌う「ハッピーバースデー」は、どの笑顔がある空間にも、多分、同じように、
そして、いつものように、流れていた。


「今日出会ったことには理由がある」今日一緒に参加した歌の仲間が、ツイッターでつぶやいていた。

私もそう思う。
この日のことを、この日感じたことを忘れるなよ、それを大事に続けていけよ、と。
そのために誰かが今日一日のいろんなエピソードを私に用意してくれたのではないか。
朝のメール、子どもたちとの会話、、、、ひとつひとつはまったくの偶然なんだけど、
それらがからみあうようにして、私の心の奥の奥に、「何か」を届けてくれた。
そんなふうにさえ感じた。

帰った私は感じたことをまとめるため、今日あったことを一気に夫に喋った。
夫は、とくにどんな反応をするでもなく、ふんふんと聞いたあと、
「ホラ、はよ書け。」
とだけ言った。

で、記憶をたどりつつ、一気に書いている。



「生まれて、おめでとう。」


もしそのとき、誰かが言えなかったのなら、私が言えばいい。
そのとき言える人がたくさん言えばいい。

多くの大人が彼らにかかわること。
それは社会人として、急務であり、すぐにできることである。

















Category - こどもたちと

- 4 Comments

りぽにょ  

思わず泣きました。
抱きしめられて 慈しまれるべき存在の子ども達が
そうじゃない場合も多くて
ほんとに心がいたいです。

私も学生時代 乳児院(当時)に2週間泊まりがけでいきました。

夜 ふけてからは、
もっと「普通の子どもと変わらずにみえる」部分がへり
甘えたり 不安がったりしていたのを思い出しました。

そしてやっぱり私もあの時 今のtarokoさんのように感じたのだったなぁ。
忘れてしまっていました(>_<)


私にも余裕ができたら
その部分はしっかり便乗させてください!

たくさんの 生の肯定を
素敵な歌声とともに届けてあげてください!

そんな活動をしてくださって ありがとう

2012/03/05 (Mon) 16:01 | REPLY |   

かとうたこ  

素敵な出逢いがあったのですね。

出逢う事は、日常の中でいつも当たり前のように起こっている。

綺麗な朝焼けに出逢い、
小鳥のさえずりに出逢い、
ちょっと焦げた卵焼きに出逢い、
出しっぱなしの玩具に出逢う。

朝起きてから、たった数分の間にも、出逢いは無数にある。

いつもの当たり前の光景でも、それらの出逢いに違いはない。

きっと、大切な事は、その出逢いを気に留める事。

そして、感じ、次へと繋げて行くことなのではないかと思う。

それらが巡ってくることが必然性を見いだすのでしょうから。

子ども達の激しいエナジーは、とてつもない生の喜びを顕しているのでしょうね。

彼等にとって、私達にもそうなのですが、生きることそれ自体が大きなエネルギーなのかもしれません。

渡辺さんが書かれたように、生活の仕様が違っても、彼等自身の想いに何ら変わりがないように、選択の自由と出逢いは、これからの彼等を可能性がある限り変容に育てていくのでしょうね。

きっと「生まれておめでとう」は、同時に「育んでありがとう」なのだとも思いました。

素敵な出逢いは、生誕の証なのだとも思いました。

渡辺さん達の活動から、想いの出逢いを繋げてくれて、ありがとうございます。

これから先に向けても、この出逢いのリレーが続きますように、頑張って下さいね。

心から応援しています。
そして、出逢いをありがとう。



     

2012/03/05 (Mon) 21:30 | REPLY |   

taroko  

りぽにょさん

学生時代、貴重な体験をされたのですね。子どもたちは抱きしめられて、慈しまれていてほしい。そうでないかもしれない子どもたちを想像したとき、どうしてこうまで胸が痛むのでしょう。自分の心のなかに子どものころのままの自分がまだいるのかなあ、と思うこともあります。「生の肯定」そうですね。それを伝えることは、私自身にも必要なことなのかもしれない。そんなふうにも思います。

2012/03/05 (Mon) 23:12 | REPLY |   

taroko  

かとうさん

コメントありがとうございます。嬉しいです。
私は毎日出会いっぱなし、なのかもしれません。かとうさんが書いてくださっている、「綺麗な朝焼けに出会い・・・・」のくだり、思わず笑ってしまいました。私の日常を覗かれているのかしらと。ほんとうに毎日がそうです。一番楽しいのはそれらに出会った後必ず自分にも出会うこと。目の前にいる人にまた新たに出会うこと。その瞬間、やった!と、毎回思い。おおげさでしょうか。生きることはそんな出会いの繰り返しですね。出逢いのリレー。ワクワクします。かとうさんの一行には、私の書く一行よりももっと広くて奥行きを感じました。あたりまえなのかもしれないけれど、文章って、目に見える文字の何倍もたくさんのことを書けるんですね。書くことは私にとって必要なことなので、その思いのままに書いていますが、かとうさんの文章を読んで、「文章って3D、いや4D?(そのへんよくわからず言ってますが)なんだ」と感じました。素敵なコメントをいただけたこと、嬉しいです。ありがとう、といっていただけて、うれしいです。ありがとうっていい言葉だなあ、と、あらためて思いました。

2012/03/05 (Mon) 23:34 | REPLY |   

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