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ソプラノ・ヴォーカリスト 渡辺麻衣

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きめつけること

Category - こどもたちと
子供達を悪く決めつけることはもってのほか、だけど、良く決めつけることも、同じく気をつけたい。

ハッとさせられる瞬間や感動させられる瞬間を子供から感じることは素敵なことだけど、それはあくまでも、自分自身が勝手に感じたことであって。相手は別にそんなつもりはないわけで。

子供たちといると、私も時々そんな瞬間に出会うことがある。突然、太刀打ちできないほどの美しいメロディラインで歌いだしたり。思いもしなかった、でも深く胸に届く真理をつぶやいていたり。
それをたまたま見て勝手に感動したからといって、最初から「こどもってだから素晴らしい」てなところからはじめてしまうと、自分だけの世界に子供を閉じ込めることになる。

感動できたことが素晴らしいのではない。芸術家同士であれば、相手に感動させられるということはすなわち、大げさに言えば「負け」であって。勝ち負け、という言い方は芸術にはあまりふさわしい言い方ではないとは思うが。

生きることイコール芸術、と岡本太郎がいっていたが、そうすると、彼らに感動させられた、ということは、その度に「生きること」において、彼らに1ポイントずつ先に行かれている、ということにならないか。

彼ら、いやこれは子供に限らずだれにでも言えることかもしれない。人はだれもが、誰かの世界に収まるようなものではない、ということ。

子供たちはとくに、そうである。彼らに驚き感動したら、その出会いを静かにありがたく受け止め、享受して、自分の世界をさらに広げ深めるための糧とする。そうすることで、さらに彼らから受け取ることができる。

教育という言葉はその全てを語ってはいないと思う。でも今私が携わっているかたちが教育というものであるならば、それは、大人も子供も、お互いが響き合うように、じぶんの世界を広げ深め創造すること。そういうものなのかなと勝手に思っている。

感動しよう、驚こう、そしてそのあと、おおいに生きよう。

Category - こどもたちと

2 Comments

真弓  

ありがとう

子どもに感動させられることはしょっちゅうです。悪く決め付けることは良くないのはもちろんそうだと思っていたけれども、良く決め付けることに意識を向けたことが今まで無かったので、ハッとしました。どうもありがとう。
確かにこっちが感動しても、「何か?」って言う顔の子ども、よくあるような気がします。自分の感動を彼らに押し付けることなく、ありがたくいただいてそれは私の糧させてもらえばいいのよね。
彼らは彼らでそれぞれすばらしく、私は私でいろいろいただきながら私の世界を広げていく。そんな私から彼らが何かをいただいて、そしてまた彼らの世界を広げていく。
そんな風に出来たらいいなあって思います。

2012/03/09 (Fri) 15:12 | EDIT | REPLY |   

taroko  

真弓さん

コメント頂いてたことに今頃気づきました。遅くなってごめんなさい。あらためてコメントありがとうございます!ありがとうっていってもらっちゃってこちらこそありがとう。いつも思いついたことを自分がわすれないように書いています。てことは私が「あ、やばい、こうなりそう、だからならないようにしよう」ていう感じで。こうやって書いちゃうと覚えてられるから。心が動くというのは神様からの贈り物で、決してそれは自分が何かをしたからじゃない、と思うんです。「もらっちゃったんだから生かさなきゃ!」てかんじかな。まゆみさんはゆきちゃんからのたくさんの贈り物を、いつも自然体で受け取って楽しんでるなあって思います。だからまゆみさんの書くゆきちゃんは、ゆきちゃんのそのままですっと読めちゃうんだなあ、と。

2012/03/13 (Tue) 06:27 | REPLY |   

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