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ソプラノ・ヴォーカリスト 渡辺麻衣

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当たり前のことは

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今かかわらせていただいている児童擁護施設は2つ。
昨日はそのうちの一つで、子供たちとの交流。
といってとくに何かイベントごとをするわけではない。

よく「交流」とかいうとすぐに「交流イベント」的ものにしようとしてしまって、結局段取りや形式?に終始してしまって、何が交流なんだかわからなくなってしまうことがある。

「交流」を目的とするならできるだけ自然なスタイルでその空間に存在しそこで自然に生まれたものを大切にしたい。だから、これまで何度か別の施設でやってきた「交流」も、その音楽室を借りて私達が練習したりミーティングとかをしていて、そこに子供たちが自由に出入りしていい、という形にしていた。

特に集まるように指示するわけではなく、音楽が流れていると勝手にこどもたちはのぞきにくるので。

ほんとうに練習してるので、私なんかは熱中して、遊びに来た子に「かわって」といわれても「ちょっとまって、これ歌い終わってから」と思わず言ってしまい、「あ、そうだった今は施設にいるんだった」となることもしばしば;;また音楽好きな子や歌える子がいるとうれしくなってしまい、「君、ここ歌って、私それに合わせてここ歌うから!」とかいって結局私が楽しんでいたり。まあ、かなり勝手な大人ぶりで。


昨日の施設での「交流」は1回目。
ピアノがある食堂でなんとなくはじめていたらチラホラ子供たちがやってきた。

その内の一人は前回のコンサートのあとの体験コーナーで、何度か一緒に歌ったらあっというまにコツをつかんだ?のか、まるで何年も歌っている歌手のような表情で口の開け方で、綺麗な声で歌い出し、職員の先生をびっくりさせていた子。(そのときも一時間以上一緒に歌った。彼女は私に、自分の目の前で何度も歌うように頼むのだ。そして私の歌う顔や口の開け方や発声の仕方をくいいるように見ながら、私も顔負けの豊かな表情で歌っていた)

彼女がすっ飛んできた。今日は新しい歌を教えた。(歌好きの彼女がきっと気に入るだろうと思って持っていっていた、メロディラインのきれいな曲。)すぐにメロディをつかみ歌いだす。彼女は私の膝にすわり、ピアノをひきながら耳元で歌って、という。そうすると、ピアノの音の位置に注目しながら、時には私の手に自分の手を重ねながら、ピアノの音の位置を覚えようとし、そして時々振り返って私の歌い方を確認する。

まだ8歳くらい、のみこみもカンもいいのでこちらも歌っていて楽しい。ピアノも習ったことがないが、指の置き方やフォーム、タッチや手首の使い方は完璧に近い。こういう子はピアノでもどうやってタッチしたらいい音が出るのか本能的にわかっているのではないかと思う。

また1時間以上はやっていただろうか。一休みしていたら彼女は今度は私の方に向き直り突然話してきた。

彼女「お父さんとお母さんいる?」

私「・・・私?」

彼女「そう」

私「うん、いるよ」

彼女「お父さんとお母さんの人形もってる?」

私「え~と、そういうのはないなあ・・・。〇〇ちゃんはもってるの?」

彼女「うん、あるよ。4つもってる、ちっちゃいの。」

私「へ~、そうなんだ」

施設に行くときはやはり、無意識のうちに、お父さんやお母さんを連想させるようなもの、会話は避けてしまっているし、持っていく曲を選ぶときも、「ママ」や「お母さん」が出てくるような曲はなんとなく避けている。
でも、いくらそうしていても、かなりの確率で彼らはお父さんやお母さんのこと、お誕生日や生まれること、そういう話をしてくる。それはもう一つの施設でも感じたことだ。しかも会話の中でけっこう早い段階でその話題に出くわす事が多い。

そんな場面に何度か出会い、改めて確認したことがある。
親の話題を避けたりそういう曲を避けること。それは彼らに配慮していたのではなく、そこに出くわした時にきちんと答えられないかもしれない自分に対する配慮だったと。

いくらこちらが避けたって、彼らにとって親のことは、私達以上に関心ごとの高いことであるかもしれないことは容易に想像できることだった。そうならば、外からきた私達との話題としてその話題が先にでてくることは充分有り得ることなのだ。


親がいることも、いないことも、どちらも決して当たり前のことではないのだ。
自分が知っていることが当たり前では決してない。

親の話題。施設にいない子にはごく普通に話しているだろう。お父さんとお母さんのことは小さなこどもたちにとって近い話題であるから、話題としても頻繁に出る。でもその状態は施設にいる子にとっても同じことなのだ。

彼らとの会話の中で、ごく自然に、物事の真理のようなものは日常の中にいくらでもあるのだ、そして真理に近いほど、それは決して驚くようなことではないのだ、ということに改めて気付かされる。





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