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ソプラノ・ヴォーカリスト 渡辺麻衣

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男女も大人も子どももやるべきことはみな同じ~子どもは勉強しないといけないのか?

Category - 感じたこと
CMなどでうっかり「子育ては女性がするもの」的な表現を出してしまって叩かれたりするように、
例えば男が外で働いて女が家事や子育てをするものという考えはもう時代にそぐわない形にはなってきているけれど、
こどもの教育に関しては「良い学校に行って勉強しなくてもよい」という考えが「女は家事をしてもしなくてもよい」
ということの理解のほどには進んでいないと思う。

中学生になって1年もすると、まわりはもう受験だ塾だとなってきて子どもが勉強をするとかしないとかがお母さんたちの間でも話題に上ってくる。

勉強をしないでゲームばかりしている、塾に行きたがらない、受験まで日がないのにのんきに遊んでいる・・・

小さい頃は「好きなことを一生懸命やったらいい」と言っていたのに中学生になったとたん「好きなことを一生けんめいやったらいい」に、「でも勉強はするのよ。(するよね?)」という条件が勝手についていたりする。

その条件を勝手につけてしまっていることに、大人は気づかない。その理不尽さに気づきながらもあらがうすべもないのが子どもという立場である。

もし、「男は外で仕事をしなければならない」「女は子育てや家事をしなければならない」だからあなたは家事をするのよ、と誰かにいわれることに違和感を感じるのであれば、「子どもは勉強をしなければならない」ということにも「なぜか」をこどもにわかるように説明しないといけないし、できないなら、おたがい納得のいく形を見つけて歩む努力が双方に必要だと思う。

・こどもへかける期待
少し前なら、こどもにかける期待の代名詞的なものに良い大学に入ってよいところに就職して、、、というのがあったけれど、今は生き方の選択肢が増えた分もう少し複雑だ。というか子どもにとってはある意味もっとプレッシャーなのかも。私も覚えがあるけれど、たとえばこういう「期待」だ。

やりたいことに向かって生き生きと挑み、努力し、夢をかなえて人生楽しんでほしい。幸せになってほしい。
そして勉強しないでだらだらしている(ように見える)わが子に思うのだ。

「おかあさんだってこんなことばかり言いたくないわよ、勉強しろとか、塾もお金がかかるし、行かせるのも面倒だし、かといって、でもその一切をやめる勇気もない(ここが一番重要)、、、ていうか『おかあさん、僕はこれがやりたいんだ!だから高校にはいかない」とか言い出したら、「よし!わかった!」てはらくくっていうのになあ、、(実際は大騒ぎする可能性大)ていうかこちらはいつでもそういう思いでいるのに、勉強だけがすべてなんて全然思ってない(つもり)なのに。勉強しないけど、やりたいこともあるんだかないんだか、あっても中途半端、だるそう、やりたいことだったはずのお稽古事だって、めんどくさそうだったりするし、じゃあせめて勉強しろよ、ていうかなんなんだお前は。。。こっちは仕事も家事も忙しいんだよ。。」

まあこのつぶやきを総じてみれば結局他力本願なんである。
自分がはらをくくれないから子どもに求めているのである。
幸せになるって、はらをくくることも必要なんである。

なぜ今これをするのか、この先どうなりたいのか、幸せってなんなのか。そもそも、自分は今この一瞬をワクワクして前向きに生きているのか。うまれた瞬間から「生きる」ミッションが全員に課せられるわけで。
そこにおいては大人も子どもも与えられている課題は同じなのである。苦しいこともある。面倒なこともある。でもキラキラした瞬間、生きててよかったと思う瞬間もきっとあったはず。

好きなことに一生懸命、と子どもに思うなら、自分が好きなことに一生懸命になってみる。その楽しさ、それに伴う面倒なあれこれもわかるだろう。勉強しろとこどもに思うなら自分も一緒に勉強する。
知識が広がる楽しさ、できるようになったり結果が出る楽しさ、それに伴う面倒くささやしんどさがわかるだろう。

機会均等、平等。すべての人がおなじ機会があり、
同じ課題に向かうことができる。この中には子どもだってもちろん含まれるのである。

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